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ぶどうとわたし

ぶどうは人のこころを癒してくれる。
ぶどうの畑は、訪れる人々をいつでもあたたかく迎えてくれる。
ぶどうの畑に佇むと、ホッとする安らぎが、こころもからだもつつんでくれる。

人生の多感の頃、たいせつな節目の時、わたしは三度もぶどうと出会えた。
この幸せは、誰に感謝をしたら良いのだろう。

「ボォボォーゥ」遠く汽笛が聞こえる。
「汽車だ! 汽車がきた!」

耳聡い子供等は、それまで夢中だった遊びを放り出し、我れ先に背伸びして遥かな線路の彼方を見る。
透明な陽炎のなかに、黒い煙と機関車が、フワァフワと揺れながら浮かび上がって、駆けてくる。
やがて大きな汽笛とともに、目の前を轟々と走り抜け、また陽炎の中にゆらゆらと去って行く。

宮城県の、海に近い伯母の家。
家の前の、どこまでも続く線路に沿って、伯母一家が育てるぶどうの畑があった。

夏の強い陽差しが、ぶどう棚の葉や、まだ青い実に降りそそぐ。
その下の、砂地の白い土には、葉っぱ形の白黒かげ模様がくっきりとついている。
その密度の濃い日陰で、子供らも白黒模様に染まりながら、ムシロを敷いて一日中遊ぶ。
時折、乾いた涼しい風が吹き抜ける。

キビキビと働く姉さんかぶりの若い伯母。
まわりには大勢のイトコたち。

母に連れられて行った、幼い夏の日の、懐かしい思い出。
ぶどうとの初めての出会いでもあった。



30歳を過ぎてすぐの頃、思いがけない事故に遭った。
身体を動かせない日々が、長く続いた。
病室の白い壁さえも暗い洞穴に見えることがある、まったく辛い苦しい時期だった。

そんな或る日。
もう夏も終わる頃。妻がぶどうを持ってきてくれた。嬉しかった。
大好きなぶどうだが、一家の主が働いていない状況では、自分から「食べたい」とは言い難くて遠慮していたものだ。
だからほんとうに嬉しくて、ひと粒ひと粒、だいじにだいじに食べた。美味かった。
万感のなかで味わった、こころに染み透るようなその味は、その後もずっと忘れていない。

北関東の小さな都市。単身赴任で働いていたある夏の日。
ぶどうが大好きというわたしに、新しい友人が、”いいもの”を見せてやる、といった。
友人の運転でほんのちょいのドライブ。
やがて視野いっぱいに”いいもの”が飛び込んできた。
夏の陽にキラキラと輝く緑の海かとみまがう、山のぶどう畑だった。
西向きの、小高い、急峻な山肌一面に、たわわに実をつけたぶどうの樹々が、まるで筋肉質の手足を突っ張るかのようにへばりついている。

足場の悪い畑で、黙々と働く古武士のような面立ちの農夫達。
若い農夫も中年の農夫も泰然と働いている。
友人の説明で、彼らが知的障害を持つことを知って、驚いた。
彼らの顔と、彼らが拓いた山のぶどう畑を交互に見ているうちに、深い感動に満たされた。



「私に人生と言えるものがあるなら」という名曲がある。
私にとってのそれは、ぶどうとの出会いだった。
人生の多感な頃、たいせつな節目に、三度もぶどうと出会い、癒され、たすけられ、育てられた。
漸く50歳を超したいま、今後の人生はぶどうとともに在りたい、と希い、畑を拓いた。

私はいつからか古い友人達に「ルンルン」と呼ばれることがある。
だから、ぶどう畑の名前は、ルンズ・ファーム。

人々が、いつでも自由に集まって、働いたり、遊んだり、憩ったり。
思い思いのひと時を思いのままに過ごせる…そんなぶどう畑にしたい。

宮城県の、伯母の家のぶどう畑は、いまはもう無い。
でも伯母は今日も野良に出て元気に働いている。
伯母は、今年100歳を超した。

人が、いつまでも働けるって素敵なことです。
人が集まることって素敵なことです。
このぶどう畑を中心にして、ぶどうと、みんなの輪と、自分を、一緒に育てていけたら、どんなに楽しいでしょうか…。

2001年1月 永澤 徹

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