桐生タイムス 2005年 4月16日掲載
赤城のすそ野で広げる夢 (ふるさと人国記)
一面に広がるワイン用ぶどう畑の真ん中あたりに大きなクヌギの木がある。やがて、老いも若きもがここに集い、笑顔で働ける場をつくる。そんな夢を描いている。NO1でなくていいと思っている。「これが永澤の、赤城のワインなんだというものをつくりたい」と。一昨年、333キロのぶどうを初めて収穫した。それが来年の3月ごろワインとなる。夢への第一歩がそこから始まる。赤城のすそ野から榛名山を真正面に見据えながら、たくましく日焼けした“農業者”は、今日もトラクターを走らせる。
50歳になったら農業をやりたい。その思いに重なったのが「ブドウ」だった。少年時代、夏休みになると遊んだ宮城県のおばのぶどう園。30歳のころ交通事故にあい、つらいリハビリ中に食べた一粒の味。そして15年ほど前、足利で働いているとき、知人に連れていかれた同市内の知的障害者更正施設こころみ学園のココファームワイナリーで働く園生の姿を見て、ボランティアとして一緒に汗を流すようになって気持ちは固まった。
そこから土地探しを始めた。「雨が少ないこと」「日照時間が長いこと」「醸造してくれるココファームに近いこと」。過去の天気のデータも調べて選んだのが赤城山のすそ野に広がる原野。ただ、非農家が就農するのは並大抵なことではなかった。法律や周囲の反応。でも、熱意は地元の人たちに伝わり、4.8ヘクタールの土地が確保できた。21世紀が始まった日に許可がおり、その年の5月にブドウの苗木を植えた。
「ワインは土」とモノの本にはよく書いてあるが、永澤さんは「赤城の土」にこだわった。だから、特別な土壌改良はしていない。「この土地でしかできないブドウ、ワインをつくりたい」と。「赤城村に“住んでいる”酵母でワインをつくる」のもこだわりだ。
2003年に待望の初収穫。333キロのブドウが取れた。04年には1308キロ収穫。3倍になった。「今年の秋も去年の3倍となればいいなあ」と笑う。収穫したブドウはすべて使い切るのが信念。祖父の言葉、「人が生きていくには、他の生き物の命をいただかなくてはならないのだから」を肝に銘じているからだ。そこで生まれたのがワインの醸造過程で出る“オリ”を利用した美容液。昨年から販売開始。
「1日36時間くらい欲しい」。それが今の永澤さんの実感。基本的に一人で切り盛りしているので忙しい。「でも私は好きなことをさせてもらっているから。カミさんが経済的に支えてくれなかったら、ボランティアの人たちの手伝いがなければ、今の農園はない」と妻や多くの協力者に感謝する。
感謝の気持ちを胸に夢はさらに広がる。将来、ワイナリーやレストランやロッジもつくる。同じ志を持った仲間が集まり、ここを「終の仕事場」にする。「今年もいいブドウができたねとハサミを入れたときに逝く。死ぬまで自分の足で立ち、仕事をして、最後の顔もきっと笑顔だと思う」。 「だから私は祖父と同じく94歳まで生きなければならない。まだまだやることはたくさんある」
来春できるワイン。まだ名前は決めていない。ただオンリーワンのワインには間違いない。
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